つがる☆時空間  

青森県の観光情報や歴史民俗を中心に紹介しています。江戸時代の天守がある弘前城・岩木山、八甲田山などの四季や、こぎん刺し・津軽塗の伝統工芸をゆっくりとごらんください。

こんにちはnatuです。青森県在住の主婦ライターです。
『グラフ青森』社が発刊している「青森の暮らし」にてコラム『城下町通信』を執筆しています。弘前城や神社仏閣、あるいはこぎん刺し、『BOR0』といった古布を手掛かりに東北の魂にふれる旅をしましょう。

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お盆の入りの13日です。
朝早くに、お墓参りした方が多いことでしょう。

弘前市茂森にある禅林街は、曹洞宗のお寺が33院ならぶ、全国でも類を見ない寺町。
8月13日は渋滞するので、早朝5時からお参りをする市民がたくさんおります。

上の写真は、2代藩主・信牧(のぶひら)公の霊廟。
禅林街の黒門を通ると、奥にみえる長勝寺にあります。
撮影日は8月8日の昼前。

このときも車の往来は激しかったんですよ。
「檀家の年会費の支払いは、13日の数日前に払います」。
早朝だと、お寺さんの受付時間外なので、前もって持参の方がけっこういるんですって。


霊廟は、国の重要文化財です。
信牧公は、藩祖・為信公の3男。
若い頃は江戸にいて、徳川家康に仕え、家康の参謀役だった天海和尚から教えを授けられたと伝えられています。

弘前城の築城を指揮した殿。
正室は満天姫(まてひめ)
 黒門の修理と『津軽双花』のヒロイン、満天姫の霊廟

側室は、石田三成の娘である辰姫です。

信牧公と、辰姫の間に生まれた若君が、3代藩主信義公となります。

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信義公は、石田三成の孫。
2代藩主が45歳で亡くなると、13歳で家督を継ぎました。

かんしゃくもちで、気に障ると、側近を手打ちしたと伝えられます。
手打ちとは、刀で切り捨てることですから、武家社会は非情なもの。

正室のほか、側室は悪戸御前など17名、子どもは38人とも。

悪戸(あくど)御前は、岩木川流域の悪戸村(あくどむら)の農家の娘でした。
鷹狩の帰途、信義公が水を所望し、立ち寄った農家で、美しい娘を見初めたのです。

そして、側室になったのですから、まさにシンデレラストーリー♪

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長勝寺は、三門、本堂やご霊廟のほかにも見どころがあります。

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百澤寺(ひゃくたくじ)にあった羅漢様が移されました。
現在の岩木山神社社務所は、旧百澤寺の本坊です。

手が欠けたり、彩色に傷みがあるのは、明治初期の廃仏毀釈により、外に投げ出された状態におかれたため。

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厨子(ずし)が見事です。
こちらの建物におさめるとき、天蓋が変更されました。

そのため、国の重要文化財になることができなかったとか。

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こちらは、厨子のとなり。
木の仏様は、藩祖為信公が植えた松の木から彫られたもの。

白い箱は、12代藩主になるはずでしたが、夭折した承祜(つぐとみ)公の座棺。
ご遺体は、木炭が敷き詰められ、ミイラの状態でした。

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新寺町の報恩寺にあった津軽家の墓所を長勝寺に改葬した作業中に発見されました。
昭和29年のことです。

大改修を終え、すがすがしい長勝寺

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禅林街。
13日は両側に車が駐車され、渋滞しますが、15日くらいには空いてくるそうです。

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江戸時代からの黒門
長勝寺の三門は、こちらの黒門から数えて、3番目の門だから三門。

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黒門のちかくにある、栄螺堂(さざえどう)。

天明・天保の飢饉の餓死者などを供養するために建てられました。
市指定有形文化財。

八角形の仏堂で、東北では2つしかないそうです。
内部を見学したい方は、事前に蘭庭院へ。
0172-32-6556に連絡すると良いです。

私はまだ内部を見学したことがありません。
いつかぜひ☆


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