つがる☆時空間  

青森県の観光情報や歴史民俗を中心に紹介しています。江戸時代の天守がある弘前城・岩木山、八甲田山などの四季や、こぎん刺し・津軽塗の伝統工芸をゆっくりとごらんください。

こんにちはnatuです。青森県在住の主婦ライターです。
『グラフ青森』社が発刊している「青森の暮らし」にてコラム『城下町通信』を執筆しています。弘前城や神社仏閣、あるいはこぎん刺し、『BOR0』といった古布を手掛かりに東北の魂にふれる旅をしましょう。

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つがる☆時空間natuです。
訪問ありがとうございます。

青森の民芸品である
目屋人形の制作を見学しました。

炭焼き小屋で生産された木炭を
徒歩でけわしい山道を運搬した乙女たち

かつての労働の姿を人形で再現しています。
写真は、道の駅「ビーチにしめや」に並ぶ目屋人形

大、中、小のサイズがあり、小は、リカちゃん人形とほぼ同じです。

西目屋村は、世界遺産である白神産地のふもと。いまでこそ道路が整備され、弘前公園から車で40分くらいで着きますが昭和30年ころまで冬には雪のため交通が閉ざされることもしばしば。

西目屋村の田代地区からさらに山の村である砂子瀬集落に行くと熊などの猟に励んだ「マタギ」や豆腐つくりなど、独特の文化や風習があり、縄文時代の石棺が確認された遺跡も存在しました。

ダム湖の底に沈んだ村。

目屋人形は消えてしまった砂子瀬の炭焼き仕事を今に伝えています。


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担い手を育成するため
西目屋村の公民館で講習会


西目屋村の中央公民館にて
目屋人形の後継者を育てようと、
毎週月曜日、午前9時半から
制作体験と講習会
が開かれています。

講習は3月までの月曜で、無料です。
  参加したい方やお問い合わせ
      村商工会 0172・85・2828

目屋人形は
商工会・女性部の『人形製作部会』のメンバーが
農家を営みながら、冬期間に制作してきました。

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昭和30年代に途絶えたのですが、
昭和の終わり頃、村おこし事業の一環として
復元につとめ、再現

私は7年くらい前にもお話を伺いましたが、
今回、改めて目屋人形の素晴らしさに感じ入りました。

材料が村で採集された植物なのです。
写真にわらを裁断するメンバーが写っていますが
脚の部分は稲わら。

稲わらは、正月のしめ飾りにも使用され、
良い香りがしますね。
昔の農家は、布団にもわらを入れました。

わら布団――残念ながら、私は見たことがありませんけれど。


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すべてが手仕事


顔と手と足のパーツだけ
人形メーカーから取り寄せですが
あとはひとつひとつ、すべて手作り。

制作中に人形の顔が汚れないように、布で覆って。
この後、絣着物を着せて、
背中に炭俵を背負わせる。

大変に手間がかかります。


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かつての暮らしを今に伝える民芸品

目屋人形のとなりにあるのは
『雫石(しずくいし)のあねっこ』
岩手の民芸品。

復元しようとしたとき、資料がなく、苦労しました。
それで、岩手県にも炭を運搬する人形があるので
制作しているところへ勉強に行ったのだそうです。

商工会婦人部の熱意は

「私も若いとき、炭俵を背負ったことがあります。
重かったですよ」と、
30年間、人形を作り続けた前山さんの言葉にも。

「生きた目屋人形だっきゃのー」
作り手講習会に参加の方がそうおっしゃいました。

伝え続けなければ、昔の暮らし方や
智恵が失われてしまいます。


電気がなく、車がなく、もちろんネットもテレビもなく。
山から木の蔓や枝を採取し、稲わらを織り、
炭焼きをして生活していた、かつての暮らしを
今は真似しようにも真似できません。

けれど、祖先たちは、私たちに自然という
大きな遺産を残してくれた。

私たちは、未来に何を残すのか。
核の廃棄物と大気汚染……


目屋人形の素朴な美しさに私が惹かれるのは
  郷愁ではなく、
    尊敬と憧憬なのです。

西目屋村商工会・婦人部の皆さま
温かく迎えて下さり、ありがとうございました。



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