つがる☆時空間  

青森県の観光情報や歴史民俗を中心に紹介しています。江戸時代の天守がある弘前城・岩木山、八甲田山などの四季や、こぎん刺し・津軽塗の伝統工芸をゆっくりとごらんください。

こんにちはnatuです。青森県在住の主婦ライターです。
『グラフ青森』社が発刊している「青森の暮らし」にてコラム『城下町通信』を執筆しています。弘前城や神社仏閣、あるいはこぎん刺し、『BOR0』といった古布を手掛かりに東北の魂にふれる旅をしましょう。

あなたがこんなに早く身罷ってしまうなんて、私は思っていませんでした。
1945年7月1日生まれですし、お体具合が悪いことは薄々は知っていた。
けれど、不死鳥のように、硬質で力強い作品を発表されるとばかり考えていたのです……。

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直木賞作家の車谷長吉さんを文学の師匠のように仰いだ時期があります。
お会いしたことはもちろんないのですが。


兵庫県生まれで、
上の画像のほかにも『鹽壺の匙』や『漂流物』「業柱抱き』などたくさんの著作があり、
奥様が詩人の高橋順子さんでした。
昨年、大きな賞をふたつ受賞された方です。

私小説を主にお書きになった長吉さんです。

一族のことをテーマに

出世作の『鹽壺の匙』は、
金貸しだった曾祖父、その後妻、
おなじ生業の祖母が登場します。

そして長吉さんと少ししか年の違わない叔父が、
一家の凄まじい業ゆえに、若くして自殺したところで終わります。

小説なのですが、事実に基づいていたので、
三島賞を受賞後に母方の親戚から猛抗議がきたそうです。
「わし家の恥を書いた」と。

ずしりと心に残る作品でした。
作家が命がけで書いたことが読み手に伝わり、その文章が忘れられません。

長吉さんの小説観はとても参考になるので、
少しだけ紹介しますね。

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文学とは何か。
このことを長吉さんは、こんなふうに書き残しました。
 
《「私たちは郊外のレストランへ行って、
牛肉のステーキを喰った」と書けば、
作文で、文学になり得ない。

しかし、「私たちは郊外のレストランに行って、虎の肉を喰った」と書くと、
読者はハッとする。

日常的にありふれたものではなく、
非日常的な反「世間の常識」を、
一篇に作品にかならず一ヶ所以上は
挿入されていなければならない。
文学における真(まこと)は虚実皮膜の間にあるものだから》

そういったことを、
『錢金について』朝日出版社のなかで話されていて、
私は目からうろこが落ちる思いがしました。

七転八倒ぶりを容赦なく書く


要点だけですが、次のようなことも。
人の心ほど闇の深いものはない
苦しみに遭遇した人がいかに七転八倒したか、
その哀れな、滑稽なざまを書く。これが文学です》と。

長吉さんの小説を読むと、
ああ、この人は苦しんで苦しんで書いているなあと、よく感じました。
自分と闘い、世間と闘い、社会と闘い、
磨き上げた宝石のような言葉の数々。
強迫神経症になったのは、
『赤目四十八瀧心中未遂』を書いているときではなかったでしょうか。

精神を病むまで、真実を突き詰めた方。

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私が抱く長吉さんのイメージが、こういう山のなかの修験場です。
播州に生まれ、東京で暮らしていた長吉さんとは、縁もゆかりもない、
青森県弘前市・堂ヶ平の山中ですけれど。

お亡くなりになって悲しい。
でも、本のページを開くと、そこに魂が宿っているはず。
いつでも逢える。
ご冥福を心から祈ります。


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