つがる☆時空間  

青森県の観光情報や歴史民俗を中心に紹介しています。江戸時代の天守がある弘前城・岩木山、八甲田山などの四季や、こぎん刺し・津軽塗の伝統工芸をゆっくりとごらんください。

こんにちはnatuです。青森県在住の主婦ライターです。
『グラフ青森』社が発刊している「青森の暮らし」にてコラム『城下町通信』を執筆しています。弘前城や神社仏閣、あるいはこぎん刺し、『BOR0』といった古布を手掛かりに東北の魂にふれる旅をしましょう。

『BORO』を知っていますか?

私は6年前まで、価値あるものだと思いもしませんでした。
『BORO』は襤褸、「ぼろ」あるいは「らんる」と読みますが、
昭和38年(1963)生まれの私にとって、身近にあったとは言い難い。

襤褸に衝撃を受けた

青森県内の商店街に育った私が、
物心ついたときは高度経済成長のさなかでした。

当時の田中角栄首相がさかんに
列島改造を叫ぶ姿がテレビに映し出されていました。

列島改造とは、日本を国際的に一流の国にしようと、
それまでより一層、工業化へ向けて進む政策でした。

札幌冬季オリンピック、大阪万博と華やかなイベントも、
テレビから実況放映されていました。
子どもながらにどんどん豊かになるような気がしましたよ。

ところで、私の父は、商店主でした。
零細な店舗でしたが、周囲の商店も似たり寄ったり。
昭和15年生まれの父に
戦争のことを聞いたことがあるのですが、
あまり記憶がないのか、「物がなかった」というだけ。

父はハイカラ好きの浪費家で、店内のステレオからは、
ピンキー&キラーズの『真夏の季節』や
『ブルーライト ヨコハマ』
あるいは青江三奈の色っぽいため息が曲となって、流れていました。

父は躾に厳しく、
子どもだった私の身なりがきちんとしていないと気が済まない人でしたから、
枚数は少ないけれど、それなりに着る服がありました。

20代はバブル経済期です。
お嬢様ファッションの全盛期。
若い女性たちがブランドバッグをこれ見よがしに持って歩いては
ひんしゅくを買ったり、マスコミに持ち上げられたり。

そんな私が45歳になって、出会った『BOR0』の世界は、衝撃的でした。
東北の暮らしの厳しさを、初めて目の当たりにしたのです。

IMG_2425

しかも、民俗の研究者のなかでも異端児だった
田中忠三郎先生が直々にナビゲーターをしてくれた。
その僥倖に、氏が亡くなって二年を経た今でも、
体が震えるような感動を覚えます。

昭和8年、青森県の下北半島で生を受けた田中忠三郎先生が、
襤褸を蒐集し始めたのは、昭和40年ころから。

暮らし方が急速に変貌してゆく様を目の当たりにして、
民具学会の会員だった先生は危惧したそうです。
日本の心が失われる、と。

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日本から失われた精神性

田中先生は、東北に何千年と根付いた
麻布と人々との関わりを後世に伝えたいと、孤軍奮闘します。
貧しさの象徴のような『襤褸』
しかし、そこに人間の真髄はあるのではないか。

でも、そんな思想は周囲になかなか受け入れられず、
集めたモノだけが倉庫に積みあがっていきます。
モノの保管には手間と費用が掛かり、
先生は青森市郊外に私費で倉庫を買い取って、収蔵しました。

70代になって病に倒れ、数か月後に退院。
私との出会いは、その療養後のことです。

   続きはまた明日に。

  読んで下さり、有難うございます。
  *文章の転載はお断りします。
  今後ともよろしくお願いします。

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